巨樹の話2007年07月10日 23時57分14秒

 7/9のHHKスペシャルは、奥羽山脈の巨樹の四季を紹介する番組だった。あたりまえといえばあたりまえなんだけど、樹って生き物なんだと妙に感心してしまいました。そして、北国の冬は木々にとっても厳しいなぁ~と思った次第です。

 光合成をするために茂らす葉。まわりの木よりも高く高く枝を伸ばさないと光を得られないので、負けてしまうと栄養が得られず大きく成長できない。しかし、太陽の光を獲得できればそれでよいかというとそれだけではなく、真夏、葉から水分を常に蒸散しつづけないと、葉の表面温度が高温になりすぎると大切な葉を枯らしてしまう。
 ブナが驚異的な保水機能を持つのは、暑い夏に備える為。秋が来ると、雪の季節になる前に、葉を落としてしまわないと、葉の上に雪がたっぷりつもって枝がその重さに耐えられない。だから、葉と枝の間に栄養が行き来しないようにブロックをつくり(このブロックをつくるのも木にはエネルギーのいる作業らしいです)早く紅葉して葉を落としてしまわないといけない。あの美しい紅葉も雪国の木にとっては命がけの作業。雪が枝につもったら時には何百キロの重さに冬中耐えなければならない。

 それでも何百年も生き続ける樹。老樹になって風雪にいため続けられても春には芽をだし、傍にある若木を圧倒しつづける・・・。樹として生まれてきても生き物の宿命として生存競争厳しいなぁと思ったけど、なんか不思議な感動があった。やっぱり大きい樹は神様なんだなぁと思いました。

 エンジェルヒプノの講座に行ったときに、来世、人や人を助ける高次な存在よりも木になってみたいなぁと言ったら、ちょっとびっくりされてしまった。このテレビを見たら、木も中々大変で、大きな木になるには人間で言うと有名人になるくらい、生える場所の運と本人の努力?も必要だし、競争社会?だし大変だなぁ~、それに雪国は大変だなぁ、暗い森に生えても大変だなぁ、と思わなくはないけど、やっぱり木になって生きてみたいなぁと思ったのでした。やっぱり変わってるかな?

 前世とか来世とかの話で思い出すのは手塚治虫さんの「火の鳥」シリーズ。その中でも鳳凰編が強烈な印象で、何回も読み返しています。禍福はあざなえる縄の如し、という感じで我王と茜丸の2人が因縁の人生を送るのですが(手塚作品を読んだらいつも思うのですが、登場人物みんな激しく生きてるよなぁ~普通に幸せな人って出てこないもんなぁ~厳しいなぁ~・・・)、茜丸が死ぬときに、「まだやりたい事があります!次も人間として生まれ変わらせてください!」と火の鳥に頼むのですが、茜丸は、もう人間として生まれるチャンスは未来永劫ないらしいのです。(我王はシリーズを通して何回も何回も生まれ変わって、全部大変でとてもかわいそうなのですけども)その事を知ったときの茜丸の絶望がものすごくものすごくリアルで、印象的なのです。だからといって我王のように未来永劫人として生まれ苦しむのとどっちがいいかと言われると、どっちもどっち、、なのですが。(鳳凰編のラストシーンの我王が、創世記から最後の最後の未来まで通してまだ平穏な時なのかも・・・?)

 運良く、「火の鳥・鳳凰編」を読むことができた私は、これが人間として生まれ変わるのが最後だったとしても「やりたいことが!!」と必死にならなくてもいいように、できることはやっていけたらいいなぁ~と思うのでした。それでも結局茜丸と一緒になったとしても、「ああ~結局一緒だったわぁ(失笑)」とちょっと余裕をかませたらいいかなぁなどと思っております。そうなるかどうかはともかく。でも、もし来世、木になるとしたら、おんなじ所に一生じ~~っと立ってるのだから、今のうちに色んな景色を見て、テレビも見てマンガもよもうと思うのでした(笑)

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