宇宙の神秘2007年07月06日 13時25分43秒

「神の目」ことNGC7293
 知り合いからメールが届いて、この星雲の存在を知りました。

 「神の目」と言われているそう。らせん状星雲〔NGC7293〕だそうです。本当に目みたいだし、まず色がきれいだなぁ~。

 そのメールがちょっとチェーンメールの形式をとってて、いや、確かにすごい写真なので、広めたいのは分かる、分かるがっっ、いくら幸せの手紙でもチェーンメールは好かぬなぁ~と思うので、ここにはあえて、チェーンメールの文面は載せません。

 幸運とか不運とかはその人のココロが決めるものなので、「あくせく働いてる私」から「なんか壮大な宇宙の一員の私」に意識がシフトチェンジするだけで7つ位の幸運はすぐにふって湧くのではないか?!と思ってしまう私は、かなり素直ではないかもしれないっすね(笑)

 もともと天文科学館の町・明石で育った私は、宇宙話が大好きです。ナントカ光年とか、話を聞いただけでもぞくぞくしちゃうかも。この「神の目」は、太陽のような恒星が死んで中のガスが噴出したものらしいです。えっとあとハッブルのページの英文が読めたらもっと詳しいことが分かるのだけど。。

 きれいなものをただきれいと思うだけでなく、科学的な知識も知りたい。ゆうても、あんまり難しい事までは分からないけど。でも物理学者が科学的にどんどんと極めていくと、最後にはどうしても「神」を出さないと説明がつかなくなったりするらしい。でも、科学が無意味なわけは無くて、今この生活を古代に戻せるかっつったらできないし、う~ん、えっと、鏡リュウジ氏の「魔女術」という本の中で、「現在の魔女は、月を岩石の塊とみる見方と、女神とみる見方を自在に行き来できる人だ」と書いてるのを読んで、よし!それだ!と腑に落ちたときの感じを思い出した。

 科学的な見方、神秘的な見方、その2つをひっくるめた美的な見方。

 セラピストの仕事をしていて「気」とか「邪気」とかとう存在とは、避けて通れない。まぁ、それ以外の生活でも、そういうのを「信じてる」人もいるし「信じてない」人もいる。自然にお付き合いできてる人はいいけど、やたら妄信的に信じてしまってる人や、頑なに「信じない!」という人にはなんだかなぁ~と思ってしまう。

 河合隼雄さん流に「あるかもしれないし、ないかもしれないなぁ」「それもそうかもしれないなぁ」みたいに思っているのがいいなぁ~と思います。そういうのがズルい!と思われたらそれまでだけど。。あるがままが一番気持ちいいのだけど、意識しるぎると、キモチ悪い方にながれてしまう。この辺りがニューエイジとの付き合いのムツカシイところで。私も好きは好きなのだけど、距離のとり方が分からなく、ここでも、こんなに異常反応してしまうのかなぁ???

 なんかどんどんズレてきた。最初にもどって。う~ん神秘ですなぁ。夏です。銀河鉄道の夜の季節ですなぁ~。

巨樹の話2007年07月10日 23時57分14秒

 7/9のHHKスペシャルは、奥羽山脈の巨樹の四季を紹介する番組だった。あたりまえといえばあたりまえなんだけど、樹って生き物なんだと妙に感心してしまいました。そして、北国の冬は木々にとっても厳しいなぁ~と思った次第です。

 光合成をするために茂らす葉。まわりの木よりも高く高く枝を伸ばさないと光を得られないので、負けてしまうと栄養が得られず大きく成長できない。しかし、太陽の光を獲得できればそれでよいかというとそれだけではなく、真夏、葉から水分を常に蒸散しつづけないと、葉の表面温度が高温になりすぎると大切な葉を枯らしてしまう。
 ブナが驚異的な保水機能を持つのは、暑い夏に備える為。秋が来ると、雪の季節になる前に、葉を落としてしまわないと、葉の上に雪がたっぷりつもって枝がその重さに耐えられない。だから、葉と枝の間に栄養が行き来しないようにブロックをつくり(このブロックをつくるのも木にはエネルギーのいる作業らしいです)早く紅葉して葉を落としてしまわないといけない。あの美しい紅葉も雪国の木にとっては命がけの作業。雪が枝につもったら時には何百キロの重さに冬中耐えなければならない。

 それでも何百年も生き続ける樹。老樹になって風雪にいため続けられても春には芽をだし、傍にある若木を圧倒しつづける・・・。樹として生まれてきても生き物の宿命として生存競争厳しいなぁと思ったけど、なんか不思議な感動があった。やっぱり大きい樹は神様なんだなぁと思いました。

 エンジェルヒプノの講座に行ったときに、来世、人や人を助ける高次な存在よりも木になってみたいなぁと言ったら、ちょっとびっくりされてしまった。このテレビを見たら、木も中々大変で、大きな木になるには人間で言うと有名人になるくらい、生える場所の運と本人の努力?も必要だし、競争社会?だし大変だなぁ~、それに雪国は大変だなぁ、暗い森に生えても大変だなぁ、と思わなくはないけど、やっぱり木になって生きてみたいなぁと思ったのでした。やっぱり変わってるかな?

 前世とか来世とかの話で思い出すのは手塚治虫さんの「火の鳥」シリーズ。その中でも鳳凰編が強烈な印象で、何回も読み返しています。禍福はあざなえる縄の如し、という感じで我王と茜丸の2人が因縁の人生を送るのですが(手塚作品を読んだらいつも思うのですが、登場人物みんな激しく生きてるよなぁ~普通に幸せな人って出てこないもんなぁ~厳しいなぁ~・・・)、茜丸が死ぬときに、「まだやりたい事があります!次も人間として生まれ変わらせてください!」と火の鳥に頼むのですが、茜丸は、もう人間として生まれるチャンスは未来永劫ないらしいのです。(我王はシリーズを通して何回も何回も生まれ変わって、全部大変でとてもかわいそうなのですけども)その事を知ったときの茜丸の絶望がものすごくものすごくリアルで、印象的なのです。だからといって我王のように未来永劫人として生まれ苦しむのとどっちがいいかと言われると、どっちもどっち、、なのですが。(鳳凰編のラストシーンの我王が、創世記から最後の最後の未来まで通してまだ平穏な時なのかも・・・?)

 運良く、「火の鳥・鳳凰編」を読むことができた私は、これが人間として生まれ変わるのが最後だったとしても「やりたいことが!!」と必死にならなくてもいいように、できることはやっていけたらいいなぁ~と思うのでした。それでも結局茜丸と一緒になったとしても、「ああ~結局一緒だったわぁ(失笑)」とちょっと余裕をかませたらいいかなぁなどと思っております。そうなるかどうかはともかく。でも、もし来世、木になるとしたら、おんなじ所に一生じ~~っと立ってるのだから、今のうちに色んな景色を見て、テレビも見てマンガもよもうと思うのでした(笑)

楽園写真展2007年07月12日 22時34分27秒

 美術館「えき」KYOTOに行ってきました。三好和義氏の「楽園写真展~ハワイアンスピリッツ」を見てきました。ハワイの大自然のマナ(気)が写真にも(あるいは写真だからこそ)ばっちりと写し取られていて、すごかった!きれかった!

 私が今まで行ったことあるNZや屋久島や小笠原や富士五湖の樹海やらを思わせるような、緑の森(ジャングル)や滝や切り立った断崖や、溶岩の地面や、まったく見たこと無いような光景もあり、たくさんの花があり、全部全部まとめてハワイなんだなぁ~!と思った次第です。そして南国の海の色よ!

 NZに行った時も、小笠原に行った時も、ここは絶海の孤島なんだぁ~と思い、太平洋はでっかい!と思いましたが、ハワイに行ったらもっともっと思うだろうな。なにせ太平洋のど真ん中の「、」だもんな。(太平洋と、大西洋の「太」と「大」の字の違いは、ハワイのあるなしだと教わりましたよw)

 ホント是非訪れてみたい地球のパワースポットです。

レモンバーム2007年07月22日 00時18分39秒

 高校の文化祭で生物部の売ってたハーブの苗を買いました。スペアミントとレモンバーム。庭に植えてほったらかしにしておいたら茂って茂って、ある時、父親に殆ど引っこ抜かれてしまいました。スペアミントは全滅して、レモンバームは少し残ってる程度。

 その時は「ほったらかしにしてたし仕方ないか」と思っていましたが、精油のことなど少し知り始めたときに「レモンバーム=メリッサ」という事を知り、メリッサ精油は高級すぎて、どんなものなのか、香りも分からないのですが、「メリッサ」と言えば、ポルノグラフティの歌った「鋼の錬金術師」の主題歌!ということで、突然、私の中でメリッサブームが沸き起こり、実家からレモンバームを移植する計画を立てましたが、すっかり弱弱しくなったレモンバームは、ポットに根付いてくれず無理でした。ホームセンター覗いても、レモンバームの苗はなかなか売ってなかったです。

 今日、いつも通る空き地の前を通りがかったときに、今まで全く気づかなかったのですが、「あれ?レモンバームっぽい葉っぱと花?・・・もしや?!」と思い、葉をちぎってみたら、まさしくレモンバームの強い香りが!!おおっ!こんな身近に雑草に混じって生えていたのですね!

 その空き地は売りに出されています。だから、誰かが家を建てることになったら、全部抜かれてしまうでしょう。。それまでに、どこかに移植したいなぁ、と思いました。プランターに入れて家の前に置いておくのもいいけど、水やり忘れて枯らしてしまいそうなので、公園とか河川敷とか勝手にどんどん生えてくれる所に植えられるのが理想。さて、どうやることやら。

河合隼雄さん2007年07月24日 23時35分47秒

 今日久しぶりに新聞を読んだら、訃報が載っていました。19日に亡くなられていたのですね。その前から、脳梗塞で倒れられていたとのこと。享年79歳だそうです。男性の平均寿命よりは少し長生きですが、もっと長く生きてくださると思っていました。

 同時代を生きた方で、私の考え方にかなりの影響を与えてくれたのが河合隼雄さんでした。河合さんのユングの解釈は難しいですが、(河合さんの解釈云々よりもユングが難しいのでしょうが・・・)物語と深層心理との関係、書けば当たり前のように思える事が、河合さんの手にかかると、本当の魔法のように奇跡の物語に変わってしまう。患者さんが本当に癒される時には、深い感動を伴うという話には、それを読むだけで、癒される力があるような・・・。

 もともと河合さんの本を読むようになったのは「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」という本を読んでからです。ハルキさんの小説やエッセイも個人主義の人が生きていく中で、不思議と癒しの効果があるものもありますが、やはり心理療法家、河合さんの癒しは、とても深いようです。

 河合さんは、心理療法の事を「患者さんが自分で治っていくプロセス」を見守るだけと言い、その見守ることは「命がけの作業」といいます。療法家はなにもしない。そのことがどれほど大変で大切なことか。カウンセリングの講座に通って痛感しました。私にはできません・・・。本当に「なにもしないことは、命がけ」ですね。だから、私は自分の出来ないことをしっかりと理解して、出来ないことはしないように、出来る事だけするように出来るだけ心がけようと思いました。

 河合さんは今、肉体を離れて、いのちの真理を知ったのでしょうか?それは、いろいろな患者さんを通して知った、たましいの考え方と同じだったのでしょうか?答えは風の中です。

 それにしても河合さんの遺した沢山の本を読むことは楽しみです。私もいつかたましいの存在になったときに、河合さんにお会いして恥ずかしくないように(?)「いい加減がいい加減」な感じで、「こころの勝負は51:49、だけどサッカーだったら2:0で圧勝」みたいな感じで、「晴れの日も雨の日もある」みたいな感じで、生きていこうと、心を新たにした次第です。