円高・仕事について2008年03月22日 22時39分26秒

 最近急に円高が進み始めた。今みたいな時期に海外旅行にいけないのは、タイミングの問題もあるけど、モッタイナイな~~、とは思っていたけど、やはり景気には悪い影響を与えるらしい。
 てか、ニュース見てたら、今ついてる本業にはかなりダイレクトな影響がきそうだ。いい時を見て入ってるから、だんだんキビしくなってくるのはキツいな~~と思うけど、今回はっ!できるだけ喰らいつくのが目標なので、仕事のストレスは図太く(自分が一番成績悪くても、気にしな~~い☆)受け流していくだけだ。。と思う。リストラされたら、その時はその時だけど、自滅するのは賢い方法とはいえない。

 おそらく、これからの私は、本業テレオペとして生き残っていくことになる可能性が高いので、電話で話すときの声の質、標準語、言葉遣いなどなど、今はかなりボロクソだけど、次の就職活動をする時には、かなり重要になるであろうポイントを、日々訓練もしていこうと思う。(まぁ、あんまり考えるとそれもストレスなのですけど)そして、20代の時よりも図太く生きていこうぜ、私!なのです。

 マッサージの仕事は一旦休業。これからは、「人の店」で働くことはないと思う。まだまだ完璧にもソツなくもできるようになった訳でもないけど、私にとって、これは仕事であって仕事ではないので、修行という気持ちが消えたあたりから、「人に使われて」働くのが耐えがたくなってきたのがある。継続的に人に触れてないと技術が落ちる、と言われてるけど、ヤル気がないまま人に触れている方が更に状況を悪化させる気がする。だから、状況が整うまで、一旦休業。

 マッサージの仕事について、プロフィールには「ホイミに憧れて」と書いたけど、ある程度はその通り。昔靴の専門学校に入学した時に、「あれ??私ロールプレイングで、武器・防具屋になりたかったっけ??ホイミが使いたくなかったっけ??」と思ったのは確かに単純な始まり。だけど、その先で出会いでスピリチュアル関係の人々と出会い、マッサージはこれらを勉強するためのカモフラージュなのだな、と思い始めました。代替療法として、ある程度関連性はあるので、勉強することに自分としても垣根が低くなるというか。

 かといって、それを仕事にするか?!というと、それはまた別。「オーラの泉」とかで有名になればなるだけ、ある意味アブナサも倍増していくような気がする。もともと私は臨床タイプじゃなくて研究者タイプ(?)なんだもんよね~と思いながら、お金のかかる趣味としてやっていくことになると思う。先々でどうなるかは不明だけど。

 中学時代、おまじない雑誌の「Misty」を読みながら、本当はこういう勉強がしたいのだけどもなぁ・・・どうしたらできるんだろう??せめてこの雑誌の編集者になれたら、こういう世界に触れてられるんだろうなぁ~~と思っていたけど、18年かかってやっとここまでたどり着きました。長かったのだか、短かったのだか。。でも、無事にここまでたどり着けた事に、感謝。

 中学時代、突然幽体離脱した時に「まだ死ぬときではない」「やる事がある」と自ら強く分かったのだけど、その後、一体何がやる事なの~~??と大分考えたのだけど、やりたい事がこれなら、当時、既に答えを手にしていたことになりますね(^_^;)
 まぁ、もし間違ってたらやり直しになるのかもしれないけどさ、一応正しいと思ってないと、前には進めない。

 最初の、仕事の話からえらくずれてしまいました。ライフワークを研究するためには、まず生きることが大切で、だからお金が得られる仕事も大切。 
 話が元に戻るけど、景況に振り回されないように、明るく図太くやっていくこと。もし、お給料分の仕事をやっていないと感じても、私が、もし何らかの形で世界の為になる事ができるならば、会社から私がお給料を貰う意味は充分あるという訳で。ものすごく、自分中心な天動説的な考え方だけど、やっとやりたい事(?)の入り口にたどり着いた、今が私の正念場なのです。。円高に負けられるか!!

ハガレン19巻!2008年03月21日 20時35分02秒

 さて!敵の全貌が明らかになりました!!
 アニメ版はアニメ版で、メッセージ性もあるのだけど、どうもあの敵の親玉が受け入れられなかった。やはり原作の敵の親玉はしっくりくる敵だなぁ~~。勝てるのだろうか?!父ちゃんと息子たちよ!!影ながら(コミックス買って)応援してます~~☆

 ここにきて、現実の(?)錬金術に興味が沸いてきた。もともと「現実の」魔術とか錬金術とかを勉強してて、「ハガレン」に出会った人もいてますが、私はまずハガレンありきです(笑)

 そういえば、昔地学の「変人の」先生が、昔の「変人の」科学者の話を沢山してくれましたが、彼らは科学者でなくて、錬金術師だったのではなかろうか???そういう意味では、錬金術にまったく関係のない訳ではなかった・・のかも。かといって、今から化学を勉強する訳でなし(アロマ環境協会の試験範囲分はやることになると思います。。泣)まぁ、理解できる範囲内でね・・・って理解できるのかどうか分からないけど。

 分野的には、占星術に関わる事と、ユングの心理学に関わる事が知りたいです。充分広いってばっ(汗)占星術とはいっても、個人の運命とかそういうのは、今のところそれほど関心なし。惑星が象徴するものをちゃんと理解できるようになりたいのです。天文科学館の町、明石に育ち、多感な小学校高学年~中学生にかけて、惑星探査機ボイシャーからの外惑星の映像を目にし、中々恵まれた環境でした。

 物理的な宇宙にもロマンがいっぱいですが、物理は高1の時点で理解不能に陥ったので・・・。今回は理解不能に陥っても、試験があるわけでなし(多分)粘り強く喰らいつくぞっ!

2008年・新年2008年01月02日 20時10分42秒

 2008年のお正月です。
 とうわけで、この日記も満2歳を迎えることになりました。特にテーマを決めず、書きたい事をつらつらと・・・。というスタイルで今まで来ましたが、これからもこういう感じでいくことでしょう。誰かに話したいけど、話したらすぐ忘れてしまうような、ちょっとしたつぶやきから、ちょっと残しておきたい、ちょっと感動した出来事etc・・・。情報発信的なブログとは一線を画して単なる日記になっていますが、まぁ、自分の記録として良しかな、ということで。

 と言うわけで(?)、今日の日記は池澤夏樹氏の小説の始まり部分の紹介をしようと思います。年末に本屋さんで、池澤夏樹氏の個人編集の世界文学全集がでるという案内を見て、池澤夏樹氏の事を思い出しました。10代後半から20代初めにかけて、池澤さんの小説を読みました。「スティル・ライフ」「南の島のティオ」「夏の朝の成層圏」「バビロンに行きて歌え」「マシアス・ギリの失脚」「真昼のプリニウス」どれもこれも、「まったく初めての」物語という感じがしました。どんな小説でも、初めて読んだら始めてのはずなのだけど、池澤夏樹氏の小説は、「本当にまったく初めて」という感じがしたのです。なんだか上手く表現できないけど。

 勿論、「南鳥島特別航路」「インパラは転ばない」などの紀行文・エッセイも自然との向き合い具合が心地よくて、「ハワイイ紀行」もまだ読めてないけど、じっくり読んでみたいです。

 「スティル・ライフ」から

 この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。
 世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらにも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。
 きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。

 でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることができる。きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。
 大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨からなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
 たとえば、星をみるとかして。

 二つの世界の呼応と調和がうまくいっていると、毎日を過ごすのはずっと楽になる。心の力を余計なことに使う必要がなくなる。
 水の味がわかり、人を怒らせることが少なくなる。
 星を正しく見るのはむずかしいが、上手になればそれだけの効果があがるだろう。
 星ではなく、せせらぎや、セミ時雨でもいいのだけれども。
(「スティル・ライフ」p9~10・中公文庫)


 「精神世界」に前世やチャネリングや、そういうものを自分が求めないようになってきた。生まれ変わりがあろうがなかろうが、(ひとつの考え方としては面白いけど)どっちでもよくて、自分と世界との折り合いをつける姿勢が大事なんだと思うようになってきた。

 いろんな人の話を聞くのは楽しいけれど、これからは、自分の価値観を確立していく時期にきているのだと思う。 人の言うことの中には真実は無くて、結局自分の真実は、自分の中にしかないのだ、と思う。
 自分の世界と周りの世界(「先生」と呼ばれる人の意見も含む)の折り合いをつけること、が今年からのテーマです!

 今年も、よろしくお願いします。

ハワイのカードリーディングで見てもらったこと2007年11月18日 22時26分37秒

 Tさんに教えて頂いたロミロミ&マナヒーリングサロン「朱いハイビスカス」。スピリチュアルなロミロミを受けてみたかったのと、マナを体験してみたかったのと、でも、英語だと分からないかもな~~と思っていたので、日本の方がされている(でも、ものすごくすごい方)という。「るるぶ」に載っていたのですが、自分ひとりでは行く勇気はなかった。Tさんに出会えて本当にヨカッタです。

 メニューを頂いて、マナヒーリング&ロミロミのメニューを見ていたのですが、カードリーディング付のコースに惹きつけられました。今、何かを見てもらう必要があるような気がして。。。ハワイにいてる間は、日常のことなど忘れて、「今日は雨降るかな?降らないかな?どこ遊びに行こうかな?手持ちのお金で何が食べられるかな?」位の事しか考えずに生活していたので、予約の時間には、悩み事は全く手ぶらの状態で伺ったのですが、実際に朱実先生と対面して話している内に今私が一番ぶつかっている根本的な質問が出てきました。

  「私はヒーラーになれますか?」でもなく「私は結婚ができますか?」でもなく、(勿論2つ共重要なことなんですが・・)「結婚はしなくてはいけないものなのでしょうか?」ということ。絶対結婚したくないとは全く思ってないのだけれど、まず好きな人が現れない。そして年齢的なものもあるのだろうけど、全くモテなくなりました(ポールくらい)。。だからこのまま自然に生きていれば、よほどのご縁が無い限りな~んもなく日々が過ぎていくことでしょう。

 でも、結婚することや子育ては、人間として経験しとかないといけないのかな~といろんなものを読んだりしたら思うし、やっぱり1人では先行きが不安なところもある。

 家に帰ったら、うるさくは言われないけど、「相手がいないんなら、お見合いセンターに登録してみる?」とさり気なく言われたりして。ずっとふらふら生きてきて親には心配かけっぱなしだし。 だったら良さそうな誠実そうな人ともし出会えたら、恋しなくても結婚するメリットは結構沢山あるのじゃないかな???
 でも、それって結局打算的な理由なんだよな・・・??

 でも、朱実先生は、開口一番「今回は結婚を目的じゃなく生まれてきている人もいてますしね。確かに結婚は、魂を磨く大切な方法ですけど、流れに乗らない結婚をして大変な思いをしてしまった人を沢山見てますからね」と私の肚にストンを収まる事を言ってくれました。ああ、この台詞が聞けただけでも来てヨカッタ!!と思いました。

 さて、リーディング。1枚目のカード、私の過去のこと(前世も含め)を表すそうです。それは「真実」というカードでした。このカードをひく人は、「宇宙とはなんだろう、自分とはなんだろう・・・?」とず~~っと考えつづけてきた人なんだそうです。それを聞いて「わぁ、そうなんですよ!!子供の頃、近所に天文科学館があって、宇宙の果てのこととか、ずっと考えてたんですよ!!」と喜び勇んで話したところ、2枚目のカードがなんと「宇宙」でした。そして、さっき私が言った台詞がそのまま書いてあって~。びっくりしましたねぇ!!

 3枚目のカードは、「言葉を大切にしなさい」というのが出ました。言葉にはマナが宿るので、言葉を大切に、ネガティブな言葉は言わないこと。う~~む、これはまさしく大変な課題です。・・・心します。

 4枚目・5枚目のカードは、将来私が、宇宙や自然とつながりを取り戻すことができ、生まれてきたことの意味が分かるという、とてもいいカードが出ました。

 生まれてきた意味。なんなのでしょうね?15才になったばかりの頃、ひょんな事で幽体離脱(夢かもしれませんが?)した私が「まぁいいかぁ、所詮私なんか、このまま死んじゃっても~」と思ったとき(肉体がないというのはとても快適でした。15で思うのだから、年取って体が不自由になったら尚の事だろうと思われます)に、どこからから湧き上がるように心の中に聞こえてきた言葉「今死んだら、また生まれてこないといけないよ。また初めからしないといけないよ。生まれるのも、歩くのも、掛け算の九九も」(ここで掛け算が出てくるところがリアルで面白い!と思います。(^_^;))今思えば、マスターだったりしたのでしょうか・・・?(それよりも守護天使さんだったのでしょうね、きっと。。。)とにかく、この言葉が、私が精神世界に興味をもっているきっかけになっています。もし夢だったとしても、すごい夢だと思う。でも、この時の言葉は、私に「生きなくちゃ!」と思わせはしましたが、「何をしたらいいのか」教えてくれませんでした。自分で見つけろ・・ってか?!ま、そうなんだろうけどさ。。。

 カードは、見つかるって言ってくれたから、ま、いいか。。

 朱実先生が教えてくれたのは、「真実」のカードを引く人は、結婚をあまり考えない人なんだそうです。心から結婚したい人が現れれば結婚すればいいのであって、それまでは、考えても仕方ないし、逃げを理由に結婚するのは×。それまでは、自分がしたいと思っている事をしていくこと。というのでした。スッキリしました。結婚しないと決めた訳ではないけど、それは相手が出来てからの話。お見合いセンターとかのことを考えるのはやめよう。これだけで、随分自分の人生がシンプルになった気がしました。

 その後、ロミロミとマナ・ヒーリングを受けながら、井伊谷先生のワークショップの相モデルでのヒプノ誘導で見た、自分の前世(?)を思い返していました。

 1つ目は、中央アジアの遊牧民の女性。毎日家族のために働きづめに働いて、ちょっとお疲れ気味でした。子供の頃、祖父母の膝で聞いた昔話が大好きで、あの頃は楽しかったなぁ~と思っていました。(年をとって彼女は孫にそういう話をしてあげたんでしょうか??気になるところです)

 2つ目は、古代ギリシャの市民階級のボンボンでした。鹿にされても石にされてもいいから、どうしても女神様(おそらく月の女神アルテミスでしょう。)が見てみたいと、人里はなれたところをふらふら彷徨う変な少年でした。が、結婚して家をついでからは、普通のおじさんとして一応幸せな一生を送ったようです。

 その時は、それぞれのストーリーの意味するところがあまり理解できずにいましたが、今回「真実」をキーワードにそぉか!なるほどな!と思いました。その1の遊牧民の女性にとって、「真実」とは祖父母の膝で聞いた昔話。その2のギリシャのボンボンにとっては、アルテミス様。だけど、大人になると、真実を追究されることが許されなくなり、幸せなはずなのに、なんとなくもの足りない気持ちになっているのです。

 それって、今生、いろんな人から精神世界のことを教えてもらう前の私と一緒だよ?!という訳で、今、雑多な茶飯事は色々とありますが、自由といえば自由だし、「真実」を追求するには、ヒプノで見た前の2つのより、なんとなくいい位置につけているのではないかな?!今の状態は。。という解釈をしてみた訳です。・・・どうかな~~??!


 ワークショップで、参加者の方と相モデルでリーディングしてもらった時には「近代の南ドイツの文学青年」と言われました。「真実」という面では、今のところ彼の方がもしかして、いい線いってるかも~?!哲学を勉強してたらいいな。(自分はさっぱりですが・・・)もしかして、神智学のサロンとか出入りしてたりしたら面白いのにな。などなど人事のように(笑)

 オラクルカードのセミナーで井伊谷先生に、さらっと「シスターだったことがあるから」と言われた時、これは、嬉しかったです~。前世の中でひとつくらい神様に仕えた人生があったっていいじゃないか?!と思っていたので。どんな風に思って神様に仕えていたのでしょうね。。多分、平凡で真面目なシスターだったと思います。やはり「真実」を求めていたのでしょうか??

  「真実」というキーワードで全ての謎が解けた気がして、これまでの自分探しが今回の朱実先生のリーディングで完結できた感じ。
 だけど、「真実」そのものについては、なんとなく分かっても、語り方が分からない、実践の仕方が分からない、本当に合ってるのか分からない・・なので、中々難しい所です。これからは、自分探しじゃなくて、自分作りも、か・・・な・・・??

ハワイ・いけるかな?②2007年10月05日 21時52分03秒

 さて、ロミロミです。
 
 昔は、カフナと呼ばれる神官的な職業の人のみが、行っていたというロミロミ、これもハワイの他の文化と同じく、口承あるいは、見て覚えるということによって伝えられ、書き記されるということはなかったそうです。それぞれの島、村によっていろいろな方法があるとのことです。

 ロミロミのスクールを調べてみれば、なんとかさんというカフナから直接教えを受けたなんとかさんにより正統派のロミロミ・・といった記述が目につきます。しかし、それとは別に、ハワイ州による免許もあるそうです。前述の「ハワイのスピリチュアルマッサージ・ロミロミ」によると、この免許を取得するには、50時間の解剖学、100時間のマッサージの理論、420時間の上級訓練が必要とされるそうです。国家資格みたいなものという感じで、日本の柔整や鍼灸やあんま指圧マッサージ師と似てるかもしれません。しかし、この免許を持たず、代々の家に伝わるロミロミを行っているところもあるそうです。
 それは、それでいいと思うのですが、その免許制度の穴というか、規制のゆるいところから、拡大解釈され、いろいろ雑多なロミロミが存在することになっているそうです。これも、日本のリラクゼーション業界と似ていますね。本当は、我々は無資格者なので、「マッサージ」という言葉は使用してはならないのです。ボディケアとか何とか整体とかいう名前でゴマかさないといけません。日本では「ロミロミ」に関する規制はないので、使っていますが、ハワイではハワイで、似たような問題が存在するのですね。

 で、私が行って習ってこようかなと思っているスクールは、この雑多なもののなかの一つ。許容されてるけど、免許制度とかからいくと全然関係ないものだし、多分、正当なカフナのなんたらとも無縁。だから、習っても箔付けには全くならないような気がします。

 だけど、ロミロミという言葉を使って営業する以上、ハワイの地を踏まずして仕事をしていいのかな?と思うと、ハワイには行っておきたい。しかしせっかくいくなら、遊びにいくだけというのも味気ない。勿論、遊びに行くだけでもいいのだろうけど。

 そんなことをううむ、ううむと考えた挙句、もうええわい!なるにまかせよ!と思いました。スクールが役に立とうと立つまいと、それがキッカケでハワイに行く気になるのであれば、とにかく行く方に掛けよう。行って、「ああ、ハワイきれいだった~、スクール大したことなかった~」で終わったとしても、行かないで判断してるより断然いいし、お金で買える経験ならば、買ってでも行ってみよう!てな訳で。

 そんな事を決心して、やっと飛行機のチケットを取って、とにかくマナを感じにいくなら、マナ・カードが欲しいよねぇ~(ハワイに魅かれてるのもマナ・カードの絵柄がものすごくいいと思ってるのと関係はあります)とマナ・カードの解説本を探しに本屋さんにいったら、それはなくて(注文しました)代わりにそのロミロミの本と、「スピリチュアル・オアフ」という本がありました。

 「スピリチュアル・オアフ」は今年の6月に発行されたばっかりの本!ナイスタイミング!!というのも、ホンモノのロミロミは、ハワイ島(ビッグ・アイランド)やマウイ島に行かないとない、とか、色々聞いてたので、ハワイ最大の都会、ホノルルのあるオアフ島には、あまりスピリチュアルなスポットはないのかなぁ~と思っていたからです。いろいろあるのですね。ヨカッタ(*^_^*)

 観光案内にエネルギー的な観点からの解説が書いてありました。どれだけ感じられるかどうかは分からないけど、オアフ島にはマナはないのかな??という思い込みが嘘だって分かっただけでもよかったです。さらに図書館から借りた「ハワイ・ブック」によると、成長期のハワイ島から、老年期にさしかかるカウアイ島、ニイハウ島という島の一生を見ていくと、オアフ島は壮年期にあたるらしいです。そして、ホットスポットからかなり離れても噴火していた火山があったという、地質学的には謎の多い島なのだそうで。

 ロミロミが、正統なものでもなくても、マナを感じてすればそれはちゃんとロミロミになるはず・・・。自分の感覚を信じて、ハワイの「気」=マナを感じて、自分なりのプレを見つけて、客観的にはつぎはぎでも、自分の中で一本の線の通った施術が出来るように、いろいろ感じてこよう!と決意した次第なのでした。

ハワイ・行けるかな?①2007年10月04日 22時16分17秒

 チェーン店をやめる3ヶ月程前から、委託でも働き始めてたのですが、そこのお店のオイルメニューはロミロミです。まだお客さんには当たってないけれど、方法は教えてもらったし、今までいちおうデトックスマッサージということでオイルはやったことがあるので、手技だけなら、なんとかなりそう。だけど、だったら、ロミロミってなんだろう?何が違うのだろう?と疑問になってきました。

 ちゃんとしたロミロミの施術をしているお店では、ちゃんと「チャント」をしてる、とのこと。ええと、「チャント」っていうのは「詠唱」というものらしいですね。プレ(お祈り)ともいうそうです。お祈りをして、マナを大自然から頂いて施術するのが、ロミロミ。そういうスピリチュアルな店ではないからなぁ~。。だから、個人的にお祈りをして、マナは分からないから「気」を貰ってすればいいのかなぁ~って感じなのだけど、いちおう「ロミロミ」と銘打ってるのに、そんなエエ加減なことでいいのかな??・・・とアタマの固い私はちょっと思ってしまったのです。

 そんな時、軽く委託で働いてる店のオーナーさんから「ハワイいってスクール行ってくる?」と軽く言われました。(お金は個人負担ですが、お休みとれるってことですよねぇ~(^^ゞ)・・・その時は「へっ、ハワイ??今の私には遠いし」みたいに受け流したのですが、マナを感じてくるには、やはり現地に行った方がいいし、今まで旅行して「無駄だった~!」って思ったことなんてないので、行ってもいいかも。。。と思い始めたのが7月ごろ。ちょうど、日記にも書いた、楽園写真展に行ったころですねぇ~。

 8月、9月、とにかくハワイにいくかどうか、「地球のあるき方」を読んでも、あんまりホノルルには魅力を感じないし、決心しかねたので、図書館から「反省文 ハワイ」と「ハワイ・ブック」というハワイの文化・歴史・地質etc・・・に切り込んだ本を借りてきました。

 そこで、ずっとひっかかってたチャントをちょっとだけ知ることができました。

「チャントとは、マナの宿った言葉。歌。神聖なフラが行われるとき、必須なのがチャント。チャントは、古代の重要な儀式の場で、歴史や伝説を伝えたり、神との交信的な役割を担ってきた。チャントを詠うものは、自然界、つまり神からのメッセージを受け取り、媒介者として授かったイメージを「声」で発信する。そして今度は踊り手が、それを受け止め「体」で表現する」

 って~~!!これってば!チャント!私の苦手な(?)チャネリングでないの??!

 いや、しかし、歌っていて、「今なんだか神様とつながっているかもよ?」という瞬間は確かにある。自分の声が自分の声ではないような。単に脳が酸欠になってるだけかもしれないけれど。・・・そういうことかな?!

 ところで、昨日「ハワイのスピリチュアルマッサージ・ロミロミ」という本を買いました。セッションの前のお祈りとして、ハワイ語をカタカナ表記したのものっていましたが、これは、声に出して唱えても、心の中で唱えてもいいものだそうです。その上、クリスチャンのセラピストはキリスト教のお祈りをするとも書いていました。なんだ~それだけのことじゃないですか~☆ちょっと難しく考えすぎていましたね(^_^;)ハワイの女神様とあと、普段から助けを求めたりしている大天使・ラファエル様にお祈りしようかな??

 そんなわけで一応、チャントについては解決(・・ということにしておこう)。
次は、ロミロミ、そのものについて。

河合隼雄さん2007年07月24日 23時35分47秒

 今日久しぶりに新聞を読んだら、訃報が載っていました。19日に亡くなられていたのですね。その前から、脳梗塞で倒れられていたとのこと。享年79歳だそうです。男性の平均寿命よりは少し長生きですが、もっと長く生きてくださると思っていました。

 同時代を生きた方で、私の考え方にかなりの影響を与えてくれたのが河合隼雄さんでした。河合さんのユングの解釈は難しいですが、(河合さんの解釈云々よりもユングが難しいのでしょうが・・・)物語と深層心理との関係、書けば当たり前のように思える事が、河合さんの手にかかると、本当の魔法のように奇跡の物語に変わってしまう。患者さんが本当に癒される時には、深い感動を伴うという話には、それを読むだけで、癒される力があるような・・・。

 もともと河合さんの本を読むようになったのは「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」という本を読んでからです。ハルキさんの小説やエッセイも個人主義の人が生きていく中で、不思議と癒しの効果があるものもありますが、やはり心理療法家、河合さんの癒しは、とても深いようです。

 河合さんは、心理療法の事を「患者さんが自分で治っていくプロセス」を見守るだけと言い、その見守ることは「命がけの作業」といいます。療法家はなにもしない。そのことがどれほど大変で大切なことか。カウンセリングの講座に通って痛感しました。私にはできません・・・。本当に「なにもしないことは、命がけ」ですね。だから、私は自分の出来ないことをしっかりと理解して、出来ないことはしないように、出来る事だけするように出来るだけ心がけようと思いました。

 河合さんは今、肉体を離れて、いのちの真理を知ったのでしょうか?それは、いろいろな患者さんを通して知った、たましいの考え方と同じだったのでしょうか?答えは風の中です。

 それにしても河合さんの遺した沢山の本を読むことは楽しみです。私もいつかたましいの存在になったときに、河合さんにお会いして恥ずかしくないように(?)「いい加減がいい加減」な感じで、「こころの勝負は51:49、だけどサッカーだったら2:0で圧勝」みたいな感じで、「晴れの日も雨の日もある」みたいな感じで、生きていこうと、心を新たにした次第です。

宇宙の神秘2007年07月06日 13時25分43秒

「神の目」ことNGC7293
 知り合いからメールが届いて、この星雲の存在を知りました。

 「神の目」と言われているそう。らせん状星雲〔NGC7293〕だそうです。本当に目みたいだし、まず色がきれいだなぁ~。

 そのメールがちょっとチェーンメールの形式をとってて、いや、確かにすごい写真なので、広めたいのは分かる、分かるがっっ、いくら幸せの手紙でもチェーンメールは好かぬなぁ~と思うので、ここにはあえて、チェーンメールの文面は載せません。

 幸運とか不運とかはその人のココロが決めるものなので、「あくせく働いてる私」から「なんか壮大な宇宙の一員の私」に意識がシフトチェンジするだけで7つ位の幸運はすぐにふって湧くのではないか?!と思ってしまう私は、かなり素直ではないかもしれないっすね(笑)

 もともと天文科学館の町・明石で育った私は、宇宙話が大好きです。ナントカ光年とか、話を聞いただけでもぞくぞくしちゃうかも。この「神の目」は、太陽のような恒星が死んで中のガスが噴出したものらしいです。えっとあとハッブルのページの英文が読めたらもっと詳しいことが分かるのだけど。。

 きれいなものをただきれいと思うだけでなく、科学的な知識も知りたい。ゆうても、あんまり難しい事までは分からないけど。でも物理学者が科学的にどんどんと極めていくと、最後にはどうしても「神」を出さないと説明がつかなくなったりするらしい。でも、科学が無意味なわけは無くて、今この生活を古代に戻せるかっつったらできないし、う~ん、えっと、鏡リュウジ氏の「魔女術」という本の中で、「現在の魔女は、月を岩石の塊とみる見方と、女神とみる見方を自在に行き来できる人だ」と書いてるのを読んで、よし!それだ!と腑に落ちたときの感じを思い出した。

 科学的な見方、神秘的な見方、その2つをひっくるめた美的な見方。

 セラピストの仕事をしていて「気」とか「邪気」とかとう存在とは、避けて通れない。まぁ、それ以外の生活でも、そういうのを「信じてる」人もいるし「信じてない」人もいる。自然にお付き合いできてる人はいいけど、やたら妄信的に信じてしまってる人や、頑なに「信じない!」という人にはなんだかなぁ~と思ってしまう。

 河合隼雄さん流に「あるかもしれないし、ないかもしれないなぁ」「それもそうかもしれないなぁ」みたいに思っているのがいいなぁ~と思います。そういうのがズルい!と思われたらそれまでだけど。。あるがままが一番気持ちいいのだけど、意識しるぎると、キモチ悪い方にながれてしまう。この辺りがニューエイジとの付き合いのムツカシイところで。私も好きは好きなのだけど、距離のとり方が分からなく、ここでも、こんなに異常反応してしまうのかなぁ???

 なんかどんどんズレてきた。最初にもどって。う~ん神秘ですなぁ。夏です。銀河鉄道の夜の季節ですなぁ~。

新月生まれ2007年05月25日 01時30分08秒

 私の誕生日は先週過ぎ去ってしまいましたが、今年は新月とかぶっていました。HN「朔」を使ってるので、こういう偶然があるとちょっと嬉しいですねぇ。HNの由来は、新月からではなく、小説の主人公からなんですけどね。

 実際に私が生まれた年は新月は私の誕生日の7日前、雑誌の月占いで、月を8相に分けて占うときは、私は三日月生まれでした。ところが、この間、本屋で、月を4相×季節に分けて占う本があって、その表に当てはめてみたら、私の誕生日は新月の範疇でした。翌日から上弦に入るんだけどね。てか、7日目の月って形は確実に上弦なんだけど。

 そんな訳で、一応私のHNに偽り無く「朔」の範囲内に生まれたことが判明した私。しかし・・・その占いの、新月×春生まれの占いは、「まさしく月そのままの感情の人」と書かれていて、あんまり嬉しくなかった。

 私的にはかなり抑えた表現をしているつもりなのだけれど、たいがい感情的らしい。実際、相当感情には振り回されているかもなぁ。。。中学のときの先生には「お前のは、感受性が豊かとは言わん、感受性が激しいんや」とか言われたしなぁ。。思春期やそのつづき(?)の20代を越えて、大分昔より鈍感力が強くなってきたかな?と思ってたけど、限界ギリギリに追い込まれたら、昔と全然変わらない。鈍感力、というかグラウンディングをしっかりしていきたいです、ハイ。

 まぁ、しかしこれも私。占いでも証明されてしまったことだし(?)仕方ないから諦めて、こんなカッコ悪い自分のまんまで世間と勝負していくのだ!それを貫けたらカッコいいじゃないか?!てな訳で・・・誕生日を過ぎて全く大人になれない今年の誕生日の初心表明なのでした。

(追記:カテゴリ、精神世界に入れたけど、これは占いかもしれないですねぇ。でもとりあえず)

聖地★巡礼2007年05月09日 12時47分12秒

 エキスポランドで大変な事故が起こる前、4月末に、万博記念公園の国立民族学博物館に行ってきました。目的は、6月5日までやってる特別展示、「聖地★巡礼」です。

 フランス~スペインのキリスト教の巡礼路、サンチャゴ・デ・コンポステラの展示です。どんな展示なのかというと、実際の巡礼者さん(フランス人のミッシェル・ラヴェドリンさん)の同行取材のビデオを中心に構成されている展示で、感じとしてはTVのドキュメンタリーみたいな感じ。ビデオは、自宅での旅の準備、や出発の地、ル・ピュイから始まって、雨の日、晴れの日、山間の教会、ピレネー越え、スペインの発電用の風車の丘を越えて、聖地サンチャゴ、さらに地の果て、大西洋を望むフィニステルまで11箇所に分けて、壁掛けテレビで、自分も巡礼している気分になりながら、会場を一周します。

 その途中で、聖地ルルドや青森の恐山の展示もちょこっとあります。またサンチャゴ・デ・コンポステラと比較される感じで、お遍路さんの展示もしてあります。

 とにかく映像がきれいですね。ヨーロッパの田舎ってなんであんなに美しいんだろう??そして、人々はとても陽気で。巡礼の旅をしているので、みんななにかしら、十字架をしょって歩いているのですが(中には信仰ではなく、歩いてみたいから、歩いているという人もいます)、なんかいい表情をしています。自分も巡礼をした気分になれてしまいます。そして、実際足が棒になってしまい、はぁ~疲れた・・となるのですけど。

 でも、中世の巡礼は、本当に命がけだったみたいで、行き倒れた人を埋葬する教会とか、そんなのもあるようです。今の巡礼は、リタイアされた人と、若者が中心ということで、やっぱり四国のお遍路さんと似ていますね。この特別展示、副題が「自分探しの旅へ」です。

 それって、昔は宗教的だった巡礼も、今は自分探しの旅になってるってことなのかな?その辺のキリコミがなかったですが、それは自分で考えろってことかな?しかし、自分探しも神聖な旅ですよね!もう私の中で自分探しといえば、ハチクロの竹本君の日本大北上になっています。自分探しがしたくなったら、ハチクロ6巻~7巻を読んで追体験!!

 いつかは、私も巡礼する日が来るかな?スペインは遠いので、やっぱりお遍路さん?巡礼するならツアーでなく、やっぱり歩きか、せいぜい自転車で!その時まで、体力と足を鍛えておかないとね!